色んな道場や教室、団体さんの殺陣を見てきましたが、彼らの殺陣において往々にして「足りない」と感じる要素。その原因はタイトルにした「なぜ?」です。
なぜ、刀を抜くのか
なぜ、袈裟切りなのか
なぜ、二刀なのか
なぜ、避けたのか
殺陣は演技です。役者さんならば、台本に向き合った時に「なぜこの台詞なのか?」と考える機会が多いはずです。そこには登場人物が言葉にしていない気持ちや根拠を探す作業があるからです。殺陣もまた、それと全く同じです。
殺陣における「手」は台詞
手付(振付)をされた際、初手が真向だったとします。この時、「なぜ真向なのか?」を読み解く必要があるということです。一手一手に意味があります。
ただ派手に刀を振れば「カッコいい」と言われる……その程度では、演技としては評価に値しません。
例えば「抜刀」一つとってもそうです。ただ自分のペースで抜くのではなく、そこから魅せる雰囲気づくりをする為にどうするか。状況によって、ゆっくり抜刀するのか、素早く抜刀するのか。抜刀の際は上から刀を持ってきて構えるのか、切っ先を下から持ってきて構えるのか。構え方は正眼か八相か等、「抜刀」だけで方法は無数にあります。
その中で役柄や状況にあった方法を選び取るからこそ、気持ちも自然とそこに乗ってくるのではないでしょうか。
「手」から役作りもできる
殺陣の稽古場では、特定の役柄がない事も多いです。ですが、役柄が無いなら「手」(台詞)から判断する方法だってあります。
例えば、芯(主役)がとどめを刺す時以外は全て「受け」の手だったとします。
ならば、この芯は「人を斬りたくないけれど仕方なく斬っている」という演技が合うかもしれません。あるいは、「ただただ達人で、降りかかる火の粉を払っているだけ」という演技が合うかもしれません。
手を読み解こうとする想像力が、殺陣という動きに感情を肉付けさせることができるのです。
役の人生や感情が滲み出るからこそ殺陣
多くの殺陣の練習で行われているのは、「芝居をつける」と称した「手の確認(段取り)」です。しかし、手の確認は芝居ではありません。
また、練習ではメトロノームのように単調なリズムで斬り合ってしまうことが多いですが、本来はお芝居として、大きく刀を振りかぶったのか、素早く動くのか、その時の息遣いや表情はどうか、役柄的にどんな心境なのか……これらをしっかり想像して殺陣に反映するべきです。この作業のおかげで、殺陣のリズムが単調ではなくなります。これこそが、リアルな殺し合いの駆け引きではないでしょうか。
一手一手に「なぜ?」と問うてみてほしいと思います。
そこから生まれる殺陣は、ただ刀を合わせているだけなのに、感情が伝わると断言します。
逆に言えば、意識を持たずに稽古で行う殺陣は、「殺陣になる前の技術的な所作」をなぞっているに過ぎないことが多いのです。
だからこそ、自分自身でその点に気をつけながら、殺陣に向き合ってほしいと思います。
